化石の虚実

化石は、記号論の言うところのインデックスの例と考えることもできよう。インデックスとは、矢印のように自らは意味を持たずに、何かを指し示す働きをする記号のことである。化石は、数千年の時を経てそのもの自身は失われてしまい、石の刻印となって残ったものだ。つまり、それは何かがかつて存在していたらしいという痕跡にすぎない。だが、痕跡であるからこそ我々の想像力は掻き立てられる。すでに本体は失われてしまっているという喪失感と、わずかな手がかりだけが残されているという期待感とをモチベーションにして、推理やら誤解やら空想やらが際限なく広がっていく。

柴川敏之の作品は、こうした化石のインデックスとしての性格をうまく用いたものと言えるだろう。その作品を一種の記号であるととらえるならば、それが実に様々なモチーフを扱い、様々な場所で展示され、様々な意味を紡ぎだす理由が了解されるのである。これはまた鏡にも似ている。指し示す何かを想像し続けることは、翻って、答えのない問いを発し続ける己を指し示すことにもなる。

今回のAPSでの展示は、ギャラリーの壁面を化石が螺旋状に舞いあがり、地層のようにも、龍の姿のようにも見えるインスタレーションであった。言わばそれは、インデックスの竜巻であり、その中に身を置くと、ちょっとした眩暈をさえ覚えた。例えば、映画「マトリックス(*1)で無数の記号が流れ落ちる場面とか、あるいは私達の世代なら押井(*2)の様々なアニメや映画で見覚えがあるような、虚構と現実が交錯する感じとでも言おうか。21世紀のギャラリーにおいて「41世紀の発掘現場で、21世紀の化石を見る」という展示コンセプトは、時間軸が入れ子になっているわけでもあり、古びた奥野ビルの雰囲気ともあいまって、すぐれた仮想空間がそこに実現されていた。

と同時に留意せねばならないのは、化石が石という強固な物質であるのと同様に、柴川作品も強い物質性を備えているということである。表面に施された錆びや砂、土などは、柴川の造形技術の高さを示すとともに、それに費やしたであろう労力や時間を想起させ、あるいは考古学や美術史学が泥や埃まみれの学問であることなどをも思い起こさせるのである。記号の螺旋が誘引する虚構の世界から、ふと我に返って、古びた汚らしいものたちを見つめなおしながら、なおそれらを扱い、愛でるのかどうかが自問される。化石だって、興味のない人にとってはただの汚い石ころにすぎないのだ。飛翔する想像力の裏で、物を扱うことのサガのようなものを感じずにはいられない。ひょっとするとそれこそが、柴川作品の本質なのかもしれない。


*1. 1999年のアメリカ映画。仮想現実空間を創造して世界を支配するコンピュータを相手に戦いを挑む男の死闘を描いたSFアクション。監督・脚本はウォシャウスキー兄弟。

*2. 押井 守(1951年〜)は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督。代表作に 『うる星やつら』 『御先祖様万々歳!』 『攻殻機動隊』 など。

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個展パンフレット 『PLANET WALL|柴川敏之展』、2011.7.30、a piece of work APS

堀切正人

静岡県立美術館 主任学芸員