2000年後の思い出のため・・・

2008年の夏、高知県立美術館で開催した「柴川敏之|2000年後の美術館☆プロジェクト」では、「2000年後に発掘された21世紀の身近な物の化石」という設定の作品の展示とワークショップを行った。これは、夏季の特別企画「美術館のなつやすみ」という高知県立美術館事業として開催した。夏休み期間を含むことから、子どもから大人まで、幅広い年代の方に美術に親しんでもらおう、と10年ほど前からだいたい隔年で実施している。

2007年から「現役で活躍している作家の作品展示とワークショップを通じて、現代美術に親しんでもらう」という方向になった。多くの方が自然に美術に親しめるように、展示の仕方やワークショップの内容にも工夫をこらした。もちろん、「2000年後の美術館」でもこの趣旨をふまえ、さらに館外へも展示やワークショップの幅を広げる事業を展開した。(それらの詳しい概要や具体的な内容は本文をお読みいただきたい。)

一昔前に比べ、美術館の数は増えた。展覧会も多種多様になった。大都市では何十万人という観客を集めるメガヒット展覧会も開催される。こうした状況だけ見れば、美術は多くの方に十分に親しまれている、といえるだろう。しかし、美術館に行ったことがない、ワークショップに参加したくても遠いからできない、興味がない、という方も意外に多いのも、同じ現実である。近年は、建物の中でじっと来館を待っていてもだめだ、という趣旨で様々なプログラムが行われている。美術館に行ったことがない、行けないという地域や人には「移動美術館」、興味がないという方々には「出前講座」という風に、まずは知ってもらう、体験してもらう、関心をもってもらうことから始めるというわけである。ベストセラーになる条件は、普段本を読まない人にも手にとってもらう、読んでもらうこと、といわれるが、それと同じことであろう。


今回のプロジェクトでは、美術館から遠い地域でのワークショップや、必ずしも美術に関心があるとは限らない人々が集まる場での展示を行い、美術に関心を持っている方の外側に位置する「関心のない方」にも、自然に美術につながっていくような取り組みを考え、実施したのである。例えば、安芸市やいの町で行った、「アートでタイムスリップ!~昔さがしと未来さがし」というワークショップ。これは、美術館から遠い地域の子どもたちに美術館ワークショップを楽しんでもらおう、というのが第一の趣旨である。もちろん、歴史ある町並みを散策し、“昔”を探した後、ワークショップで2000年後に思いを馳せ、歴史というものを考えてもらう、という思いもあった。子ども達にどこまで思いが伝わったかはわからないが、大人を対象にしたら、歴史好きな方が参加して美術に関心を持つようになる、ということもあるかもしれない。

竹林寺や日曜市でのミニワークショップも同様である。両者とも高知市を代表する観光地であるとともに、高知県民にも普通に親しまれている場所でもある。そうした場所で、ワークショップを行うことで、美術館に関心はない、あるいは興味はあるけど敷居が高い、情報がわからない・・・という方に、気楽に楽しんでもらい、美術に興味を持ってもらうきっかけにしたい、というのが目的である。申し込み不要で短時間に出来上がるプログラムにしたので、美術に特に興味を持っている人でなくても楽しめるのがよい。

こんなことが、本当に美術に関心を持つきっかけになるのか?という疑問を持つ方もいるだろう。たしかに、ワークショップに参加した人全員が、美術が好きになったかはわからないし、専門家になった例などは皆無に近いかもしれない。しかし、「美術は嫌い、自分に関係ない」という人には、子どもの頃、図工の時間に描いた絵を批判され、嫌な思いをしたという人が多い(実は、筆者もそのひとり、小学3年生のとき、担任のN先生に批判され、それからずっと描画に苦手意識がある)。では、逆に、美術での楽しい思い出を作ることができたら、美術が嫌いになる人は少しは減るのではないだろうか。立派な作品を作るとか、技法を学ぶことが目的でなく、美術で楽しい思い出(作って楽しかった、意見を言えた、褒められた・・・なんでもいい)を作ってもらう、実はそれが大切ではないかと思う。


美術の楽しみは「創作」だけでなく、もうひとつ「鑑賞」がある。これも、館内だけでなく、美術とは直接関係のない場所にも展示をさせていただいた。幅広い方に現代美術に触れてもらうためである。柴川の作品は、作品そのものが楽しい。ユーモラスな招き猫の化石作品など、親しみやすい外観で多くの方がすっと受け入れてくださるようだ。キャラクターのおもちゃや歯ブラシや携帯電話などの日常品を元にした化石作品を前に、子どもも大人も「これは・・・」「あれは・・・」と「モトネタあて」に楽しそうに興じている。もちろん、質感を見て、「怖い」「気持ち悪い」と素直な感想を述べる方もいるし、制作過程を聞いて「へえー」と関心する方もいる。もちろん、ただ眺めていくだけの方もいる。作品“そのもの”の楽しみ方は人それぞれである。しかし、柴川の作品の本当の「鑑賞」は作品そのものを見ているだけでは、まだ半分である。彼は「2000年後の化石作品」を作ると同時に、それを設置すること、あるいは何かと一緒に並べることで、空間そのものを「2000年後の世界」に見立てる、というインスタレーション作品を生み出しているのだ。だから、作品とそのまわりの空間、作品と作品の関係性、作品と資料の関係性にまで思いをめぐらすと、楽しさは倍増するのである。

普通、作品は展示場所が変わっても、作品の意味することが変わったりはしないし、作品名も変わらない。例えば、モネの『印象・日の出』はどこで展示されても、『印象・日の出』だし、印象派誕生に重要な役割を持つ作品であることは変わらない。しかし、柴川の場合、作品や意味することは、どこに並ぶか、何と一緒に並ぶか、で大いに異なってくる。例えば、両手をあげてバンザイしている「キューピー人形」は、文学館や自由民権記念館では「自由万歳!」と喜びの象徴であるが、図書『走れメロス』と並べた県立図書館では、メロスが完走した瞬間のイメージである(メロスは確か裸でゴールした、ということも関係する。キューピーは裸である)。同じ化石作品でも、何と並べるかで意味合いが違うのだ。

柴川の作品は親しみやすいが、実はその先には、“インスタレーション”という現代美術の概念がある。おそらく、来場者の大半はそんなことを考えてはいないだろう。だが、展示を見て、おもしろかった、楽しかった、という思い出が心に残っていたら、ある日どこかで、ふとインスタレーションという言葉に出会ったとき、2008年の夏がよみがえってくれるのではないだろうか。

「美術館のなつやすみ」が、いつか「美術の楽しい思い出」になってくれることを願っている。

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プロジェクト記録集『柴川敏之|2000年後の美術館☆プロジェクト』、2009.3、高知県立美術館

河村章代

高知県立美術館学芸員