歴史と美術をつなぐ新たな試み

今から2000年後。栄枯盛衰を繰り返す地球の文明は砂に埋もれている、かもしれない。その頃生まれた知的生命体が、砂漠地帯で見慣れない鉄板を見つける。「SONY」「HONDA」‥‥? どう読むのか、何に使われたのか見当がつかない。結局、博物館に2000年前の遺物として収蔵される。そのキャプションには“鉄製碑文”と添えられた…。考古学と美術をつなぐ試み『2000年後の冒険ミュージアム』(2003年7月1日—9月21日、広島県立歴史博物館)は、約18,700人の入場者を集めて幕を閉じた。約2000年前に姿を消したポンペイの遺跡に想を得て、未来から私たちの時代を見つめるというテーマで、現代社会を象徴するものを作品化してきたアーティスト、柴川敏之。彼が住む広島県福山市の芦田川で、中世期に栄えながら、約330年前の洪水で川底に埋もれた草戸千軒町遺跡の出土品と自身の作品をコラボレートした。

展覧会は、3つの会場から成る。第1会場へは、タイムトンネルを思わせる入り口をくぐって入る。円形、長方形状の各「発掘現場」には草戸千軒町遺跡の井戸跡や墓石があり、携帯電話やカップ麺、パソコンのキーボードなどが5,000個の耐火煉瓦や枕木とともに埋もれている。ガラスケースにも、遺跡の出土品と、柴川の作品が渾然と並ぶ。貨幣、電球、糸巻き、ハイヒール‥‥。仏像かと思ってよく見ると、それがウルトラマンの半身だと気づく。ウルトラマンの化石が将来、仏像の一系態として祀られることもあるかもしれない。一見ユーモラスな発想だが、草戸千軒の泥仏に託した民衆の願いがどんなものだったか分からないように、形だけでは容易に推測できない現代文明の痕跡が未来人にとってどんなメッセージをはらむのか。

ここでの展示にはあえて解説文は添えない。「発掘現場に解説はない。その造形を見て人は、想像し、考え、探し、調べるという行為を始める」と柴川は言う。「美術作家がそこに創造性を加えることで、“歴史”が能動的な科目にもなる」。鎌倉から室町期に栄えた町の遺物に、現代作家が作った2000年後に発掘されるであろう「化石」を添えることで、過去、現在、未来の時空をつなぎ、時間の重層性を見せる。今を生きる私たちも、歴史の中に身を置いていると実感できるのだ。

第2、第3会場は、博物館の常設展示室を利用する。備後地方の歴史を辿り、実物大に復元された草戸千軒の町跡を体感する。観覧者には、あらかじめワークシートが配られ、第1会場の出土品の正体の答え合わせを、常設展示室で行う。「知ってから見ると確認になるが、感動してから見ると智恵になる」と篠原芳秀・同遺跡研究所長は話す。

柴川は4コースのワークショップを行い、幼稚園児から大人まで約6,500人が楽しんだ。それは ①柴川作品をローラーで和紙に写し取る ②それを棟方志功が版画では初めて使用した技法「裏彩色(うらざいしき)」を施し、カラー拓本を制作する ③出土品を拓本にとる ④身近なものを「化石」にする、というものだ。「風化させることで同じレベルにみえてくる、それが面白い」と柴川は言う。参加した児童は、自分が遊ぶおもちゃが化石になったとはしゃぎ、和紙に遺跡の模様を写し取った。子どもたちが実際の出土品を使って拓本にとるなど、博物館にとっては冒険だったが、収蔵品を活用した新しい取り組みは高く評価できる。

昨今、国立の博物館においては、独立行政法人化に伴う新たな「評価」に対応するため、入場者数を増やそうと、試行的ではあるが、認知度の高いキャラクターものの展覧会やイベントを行う例が見られる。美術館・博物館としての質を保ち、斬新な企画展をどう打ち出していくか。その悩みは地方自治体や民間でも同じである。地元作家らと連携し、教育と美術の楽しみを組み合わせた今回の試み。この手法で他の分野とのつながりを持たせ、美術教育の多様性を探ることも今後の課題といえるだろう。

「LOCAL ACTION 地域型アートプロジェクト・リポート」 『美術手帖』 2003年11月号 Vol.55 No.841 美術出版社

中村共子

ライター・三菱地所アルティアム

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